創業者の過去 その9
新居は二階建てで、二階二間、階下が三間あって、前庭約六坪というから、いずれここにも増築できると見込んで移転したもので、鶴橋の住居と比べると約三倍の広さがあった。
それに二階二間を住居としているので、もう歳男と寝室をいっしょにする必要がなくなった。
表通りに面しているので、小さいながら町工場らしい外観を備え、そのうえはじめて人を雇ったので、ようやく事業主らしい気分を味わうことができた。
そして碍盤とアタッチメントプラグ(通称アタチン)の製作に従事した。
このアタチンは大好評で、いくらつくってもすぐ売り切れてしまった。
ふつう練り物はどの工場でも秘密にしていて、工員も古顔にならないと教えてもらえなかった。
だから松下も創業時に苦しんだものだが、幸之助は、新米の工員にも練り物をつくらせて、まったくオープンにしておいた。