創業者の過去 その12
彼は東京へ売り込みに出かけていきました。
とにかく三千円の保証金をすべて工場に注ぎ込んで、増産体制ができ上がっているので、それに見合うセールス体制をつくり上げなくてはなりません。
そこで必死になって走り回っているうちに、いつの間にか松下は、従業員二十数名を擁するそこそこの工場に成長していきました。
大正七年と入年は、この"差し込み"と"アタチン"を中心として、松下電気器具製作所は順調に伸びていきました。
大正八年のことでした。
幸之助は、仕入れもセールスもすべて自転車で回っていたので、その日もアタチンの金物をいっぱい石油缶に詰め込んで自転車の荷台に縛りつけると、川口町へ向かって全速力で走っていました。