創業者の過去 その10

彼はさらに新製品の研究開発をというので、"二灯用差し込みプラグ"の考案に熱中した。


二灯用は当時、東京と京都でつくられているだけだったが、改良の余地ありとみて、幸之助は研究の結果、実用新案を取った。


そして売り出したところ、アタチン以上の大好評で、飛ぶように売れた。


するとある日、問屋の主人がやってきました。


「私は吉田といいますが、総代理店をさせてもらいたいんですワ」幸之助は内心考えた。


どちらが得策か、どちらが将来の実りをもたらすかと分析検討した。


「しかし現在のままではとても生産が追いつきまへん。


となると工場の設備を拡張しなくては、あんたのご計画にそえないことになります。


そこで保証金として三千円を提供してくれまへんか。


そうすればその金で工場を拡張して、あんたの希望しはるだけの数量を確保するようにしますがな」「なるほど、よろしおます、ほな三千円、保証金としてお宅にお預けしまっさ」話がまとまって、幸之助は"よしやるぞ!"と、その日は興奮のあまり寝つきが悪かった。

創業者の過去 その9

新居は二階建てで、二階二間、階下が三間あって、前庭約六坪というから、いずれここにも増築できると見込んで移転したもので、鶴橋の住居と比べると約三倍の広さがあった。


それに二階二間を住居としているので、もう歳男と寝室をいっしょにする必要がなくなった。


表通りに面しているので、小さいながら町工場らしい外観を備え、そのうえはじめて人を雇ったので、ようやく事業主らしい気分を味わうことができた。


そして碍盤とアタッチメントプラグ(通称アタチン)の製作に従事した。


このアタチンは大好評で、いくらつくってもすぐ売り切れてしまった。


ふつう練り物はどの工場でも秘密にしていて、工員も古顔にならないと教えてもらえなかった。


だから松下も創業時に苦しんだものだが、幸之助は、新米の工員にも練り物をつくらせて、まったくオープンにしておいた。

創業者の過去 その8

碍盤で維持費を稼いで、幸之助は、余暇をソケットの改良研究に振り向けることにしました。


やっぱりあの時諦めてやめてしまわんでよかったなア。


もう駄目だと手を放していたなら、碍盤の注文もこなかっただろうと思うと、事業の難しさとコツが、すこし飲み込めた気がしました。


それにしても土間と二畳の工場兼住居はあまりに手狭すぎたので、大開町(福島区)一丁目に家賃十六円五十銭の借家を見つけて、そちらへ移ることにしました。


大正七年三月七日のことでした。

創業者の過去 その7

それからは戦争のようなものだったそうです。


妻のむめのが釜を炊いて、原料を混ぜ合わせ、幸之助が急ぎに急がせて一週間でつくった金型を使って、ポンスで型を抜いた。


そしてでき上がった碍盤に磨きをかけるのは歳男の仕事だった。


日に百枚できるようになって、ようやく二十日すぎに納品をすませることができた。


幸之助は自分なりによくできたと自信をもっていたが、さいわい注文主の川北電気も気に入ってくれて、百六十円の代金を払ってくれました。


「おい、これでやっと正月ができそうやな」餅を買う気分になりました。


祈るような気持ちで追加注文を待っていると、正月早々二千枚つくってくれといううれしい知らせが届いたのです。


こうして本来の狙いだったソケットは売れなかったけれど、思いがけない碍盤の注文のおかげで、どうやら事業を軌道に乗せることができた。

創業者の過去 その6

―ついに注文が舞い込みました。


このままでは、後一カ月もつかどうかという大正六年のどん詰まりというべき十二月がやってきました。


相変わらずせっせとソケットをつくって小売店を回っていたが、まるで売れそうになかった。


1これでいよいよ店じまいやな。


刀折れ矢尽きた感じで、肝心の材料費に窮してきました。


そんな時、思いがけない注文が舞い込んできた。


いつも回っている電気商会の主人が、見本を見せてくれました。


「これ、扇風機の碍盤なんやけど、急ぎの仕事で、年内に一千枚、つくってほしいんや」「はア、年内にでっか・・・」できるかしらと不安だったが、仕事の選り好みをいっている時ではないので、やるしかなかった。

創業者の過去 その5

ようやくソケットが完成した。


さアできたぞと、自転車に積んで出かけたが、まるで相手にしてもらえませんでした。


十日間、毎日大阪市中を走り回って、売れたソケットがわずか百個、収入にして十円では、一人でも食べてはいけない。


ましてこのままでは問屋が引き受けてくれないとあっては、さらに改良が必要です。


といって、その間の持ちこたえのできようはずもなく、月末の支払いに回す金もないとあっては、やめるよりしようがない。


元同僚二人が去っていくと後は夫婦と義弟の歳男だけとなりました。

創業者の過去 その4

参考書と首っ引きで、幸之助と協力者の林と森田が練り物の製法を研究した。


頼りない話で、一から十まで手探りの試行錯誤がつづいた。


友人から借りて資金はやっと二百円になったが、今度は原料の混合率が分からないので、釜を前にして、思案投げ首の日がつづいた。


そのうちにやっと練り物工場にいた男を見つけて、製法を教えてもらうことができた。


一方、妻むめのを介して義弟に当る歳男を淡路島の実家から呼び寄せておいた、その歳男が大阪へやってきました。


といってもまだ売り物のソケットはでき上がらず、妻は質屋通いをして、なんとか食費を捻出している有り様だった。


そのうえ、二畳と四畳半の二間しかない長屋の一間をつぶして工場代わりに使っているのだから、幸之助夫婦と歳男は、わずか二畳の間で寝起きしなくてはなりません。

創業者の過去 その3

退職金三十三円二十銭、積立金四十二円、合計七十五円二十銭と貯金が二十円余り、それが手持ち資金のすべてだった。


機械一台、金型一つを買っても百円は飛んでしまう。


しかもなんの技術もなければ、売り先のあてもないのだから、無謀というほかはなかった。


幸之助は、自分よりすこし前に会社をやめていた林を誘い、さらに森田という同僚も希望したのでいっしょに事業をすることにして、ソケットづくりに乗り出した。


ところが、困ったことにソケットの原料が何と何で、それをどうすればよいのかという、基本が分からなかった。


よくまアこれで独立できたものだが、なんとかなるだろうと思うばかりで、そのくせすぐ壁にぶつかってしまったのです。

創業者の過去 その2

心の隙間に病魔が忍び込んで、医者に診てもらうと、肺尖らしいという診断だった。


一カ月の静養を命じられたが、休めば給料がもらえなくなる。


そこでいろいろ考えた結果、このソケットの製造をして、世に出したいと思うようになりました。


もし主任にもうすこし別の言葉で励ましを受けていたなら、あるいはこうまで思い詰めなかったかもしれない。


しかし主任の一言が胸にこたえて、なんとしてでも独立して、改良ソケットを世に出したいと決心したのです。


若さというものは往々にして過信を伴いやすいもので、大正六年六月二十日に退職すると、頭の内はソケットづくりでいっぱいでした。

創業者の過去 その1

ソケットの改良に全力。


電気工事の職工達の目標は、検査員になることで、各担当者が施工した工事を検査して、点検して回るのが仕事だった。


仕事は楽だったが、これが終点かと思うと、なんとなく虚しい気がしました。


そんな気分も手伝って、彼はソケットの改良を試みた。


さんざん苦労してつくり上げたので自信があった。


そこで、会社のソケットをこれにすればよいと思い込んでいたので、主任のところへ持っていきました。


「どうでしょう。


私が改良したソケットです・・・」見てくださいと差し出した時は、必ずほめてもらえると思い込んでいました。


しかし主任は手に取ると、首を振った。


「こんなものでは問題にならん・・・」「いけませんか・・・」「話にならん。


こんなものではな」しかし幸之助は棒立ちになったままだった。


ショックが大きすぎて、口もきけなかった。


主任に背を向けたとたん、涙があふれそうになりました。


何もあんなにクソミソに言わなくたっていいじゃないか。


悔しさがこみ上げてきてどうにもならない。


そういうこともあって検査員の仕事にも熱が入らなくなってしまった。

管理人のお気に入り

医院 開業

医師の求人・転職がご希望なら、業界トップクラスのリクルートドクターズキャリアへ。医師専門で転職支援歴30年。常時10,000件以上の医師募集求人をご用意、専任のキャリアアドバイザーがあなたに合った厳選求人をご紹介し、転職を徹底サポートします。

ウォーターサーバー比較

ご家庭やオフィスにウォーターサーバーの導入を検討されている方へ、サーバー提供会社各社の比較情報をお届けします。

ハンガー
ハンガーの企画・製造・販売会社TAYAのサイトです。製造メーカーの株式会社タヤが付加価値をもった、オリジナルハンガーをご提案します。ご要望(デザイン・機能)をご連絡ください。国内生産で小ロット・短納期に対応いたします。
  • コールセンター
  • EC&通販専門のコールセンター会社に、無料で複数の見積が取れる一括見積サイト「EC通販コールセンターナビ」。小コールや短期間でもOK!